【コロナ禍の師走に】
師走に入り、今年も後10日を切りました。
日が落ちるのが本当に早くなりました。
第3波に入ったコロナの問題で毎日のニュースは暗いものが多く、
「テレビは不安を煽っている。見たくないのに見てしまう。」
との相談者の声をよく聞きます。
また一方で、「テレビやネットは一切見ない。落ち込むから。」という方々もいます。
誰しも不安な時、更にテレビやネットなどで不安の詳細を確認してしまう時もあるでしょう。
ですが、報道が事実とは限らない時もあります。色々な主観や偏りによる時もあります。
ちょっとその不安から距離をとれたら、非常に楽になれます。また、安全な誰かに話せたら、不安が小さくなったり、不安の正体にご自身で気がつく時もあります。
そうは言えども、安全な誰かなんていないと言う方々も多いでしょう。
その時は地域の精神保健福祉センターの相談や、色々な民間の電話相談があります。
有名なのは「いのちの電話」「よりそいホットライン」ですが、ネットが使える方は検索のキーワードに「家族問題・無料電話相談」「心の不安・無料電話相談」などと入力して頂くと沢山の団体が出てきます。
ネットが使えない方々は市区町村の役所などで心の悩み相談をしている事も多いので電話で調べてみては…。
けれども100%安全な相談がないのも現実です。
勇気を出して電話をしても「逆に苦しくなるような対応をされてしまい余計死にたくなった。」とのご相談も多いです。
相談員が否定的、支配的や侵入的だったりすることもあると聞きます。この人(相談員)は合わないと感じても、根掘り葉掘り矢継ぎ早に聞かれ話し続けてしまい苦しくなったとのお話も多いです。
(私見ですが、臨床心理士や精神保健福祉士などのプロでも威圧的高圧的な方はいます。)
そのような違和感を話しはじめに感じた時は「ちょっと来客が…。」など適当な理由をつけて切ってくださっても大丈夫だと思います。
中断することができず、話したくないことまで話してしまったと後悔することを防げるかもしれません。
それから、話す勇気が出ない時も、不安を紙やスマホに書いてみる「見える化」「可視化」もおすすめです。
紙に書いて、付箋紙などに思いつく限りの反論や客観的意見を書いて、貼りつけていくのもおすすめです。
箱や封筒に一度それらをしまい、問題を一度棚上げしたり思考に休みを与え、大丈夫な時に出して考えたり検証したりすることもできます。
不要な心配や問題なら時間の経過とともに忘れることができる時もあるでしょう。
不安神経症の時など、真に核心の事柄を考えない為に、違う不安を大きく拡大させ実行している時もあります。(手洗い強迫など。)
書くことで一旦整理できることも多いですが、揺り返しが来て苦しくなってしまうこともあります。その時は一度問題を棚上げにして下さい。
また、書いた紙をびりびりに引き裂いたりハサミで切り刻み、川や海などに流すことで不安を水に流すこともできます。
(安全に気をつけて燃やすのもベターと書いてある本もあります。)
書くことをおすすめしましたが、一方でPTSDなどで書いたり読んだりできないと嘆く方々もいます。そういう時は抱え込んでしまいがちですが、少しずつでも言語化できると気持ちは軽くなります。
しかし、相談したいと思ったり、辛く話したくても、無料電話相談はどこも繋がりにくく話せなかったとの声は多いです。
コロナ禍に入って、いつも利用していた相談先がお休みになったり、普段より更につながらなかったり時間が短縮されたとの声もよく聞きます。
幸いに、所属のNPO法人は一回線だったのでコロナ禍でも休まず電話相談を続けることができました。
電話相談の相談者から、お話しののち、感謝の言葉や「夜遅くまで大変ですね。帰り道気をつけて下さい。」といたわりの言葉を沢山いただきます。
大変という言葉はあまり当てはまらないように思います。確かに気力体力はいりますが…。
本当に大変な状況でも優しい方々が多いです。問題に向き合う姿勢や、その頑張りに逆に勇気をいただいたり、勉強になったり、先行く仲間の背中を見る思いでいます。
虐待やDV性暴力被害などでPTSDや様々な依存症になり、困難な厳しい状況の方々も、自分以外の人を心配したり、いたわる気持ちがある方々がほとんどです。
虐待などは本当にあってはならないし、すべてがマイナスにとられがちですが、痛みを知って人に優しくなれることも確かにあります。
その共感能力は生きる上で力になる時も多いと思います。
私自身も自分の体験や経験が、皆さんのお話を聞く時に生きているかもしれないと感じることが度々あります。
昔話になりますが「いつか、病んだ人に寄り添うということ」を、私が自分の夢としたのは小学校二年生の時です。
『マザーテレサあふれる愛』を読んで、自分もいつか誰かに寄り添う存在になりたいと強く感じました。
私の育った北海道の小さな田舎町にもカソリック幼稚園が一つだけありました。私もその小さな幼稚園で厳しくも楽しい幼稚園時代を過ごしました。
飢餓の国の子供達が沢山死んでいるから、お弁当を残してはいけないという躾はとても厳しく緊張で食が細くなる私は身を削るような大変な思いをしました。
食べることができない子供達のことを考えると、子供ながらに食べることに罪悪感を抱いた時もありました。
生きている罪悪感もありました。
その理由の大きな原因は虐待でした。父親は男の子が欲しかったのに、女と生まれたという理由で私への暴力がありました。その頃から女で生まれたことに対してと、生きている罪悪感が強かったことをよく覚えています。
3姉妹の次女の私にだけ身体的精神的暴力がありました。母親も2つ上の姉に手がかかり大変で、4つ下の妹が生まれた頃で私のことを見る余裕がなかったのだと今は思います。
そのような緊張の毎日で、毎週の幼稚園での、家族や平和や誰かのことを祈る時間はとても貴重でした。わずかな緊張の中に神父さまの優しい祈る声が響き、とても静かな安らぎの時間でした。
園庭で遊ぶ子供たちをベンチで見守っている神父さまの、膝にのせてもらった時の安心感やあたたかさは記憶の中にはっきりと写真のように残っています。
田舎には珍しかったカモミールの花の種も園長先生から頂いたと記憶しています。自宅の庭に咲いた可憐な小さな白い花は、中央が黄色でとてもいい香りがしました。
綺麗なステンドグラスの礼拝堂を見上げてお祈りをした記憶も小学生まで色濃く残っていました。
その頃読んだ本のマザーテレサの信仰と行動は強く印象づけられました。
私もいつかマザーテレサのように、病んだ人々に人生を捧げたいと強く感じました。
ハンセン病患者や貧しい人々に寄り添ったのは、マザーテレサが有名ですが、日本人も愛生園に身を捧げた、精神科医の神谷美恵子さんがいます。
今年の春、私はあるトラブルで暴力にあい安静を余儀なくされて、痛みが強い時はひたすら横になり本を読んでいました。
その時も思いましたが、本を手にするとよく思い出す言葉があります。
「本は神さまが必要なものをお与え下さるから、その時々必要なものを読むから大丈夫」
そう言ってくださったのは、数十年前、日本キリスト教婦人矯風会でのシェルターのDVの電話相談に電話をかけた時の年配の女性の相談員さんでした。
育った家庭の暴力や夫のDVに悩んで、色々な本を読んでいました。読むものすべて地面に穴を掘って自分が落ちてゆくように感じて、DVの本を読み勇気を振り絞って巻末の相談先のリストにのっていた電話番号に電話してみました。
落ち着いた声の年配の女性が呼び出し音4回で出て下さり、私はなかなか現実に起きているDVが家族にも理解されず悩んでいる事や、読む本が暗い内容で偏っている心配を話しました。
「本は神さまが必要なものをお与え下さるから、その時々必要なものを読むから大丈夫」との言葉を聞き、安心の水を体にそそがれたような気持ちになりました。
それから年月を経て「偶然は必然である」との言葉に心の中でつながって行きました。
トラブルがおきる前、ふと図書館で手にとった新刊が、神谷美恵子さんの本『遍歴』でした。その本が、トラブルや痛みに悩む私の救いと指針になりました。
その頃、所属団体で私が電話相談を受ける日を休止させられ、再開後もトラブルから逃げ安全を確保する為に事務所に行けず休まざるを得ない状況でした。
休止理由や再開の問い合わせがあっても答えることができない状況で悩み苦しみました。
その痛み苦しみ、先々への不安を、応援してくれた方々と、神谷美恵子さんの本が支えてくれました。
私はトラブルに弱っていましたが、神谷美恵子さんに力をもらいました。
やめてはいけない、かつての私にDV支援団体のカウンセラーが寄り添ってくれたように、私も木曜に電話下さる方々が元気になるまで寄り添いたいと思いました。
幸いにその本を図書館に返却した頃、無事電話相談は再開され、現在も順調です。トラブルも落ち着きました。
その本『遍歴』の中に、マザーテレサのような方が書かれていました。
ハワイの孤島にハンセン病患者の母となり一生を捧げた尼僧がいます。
シスター・マリアンヌです。
『モロカイのマザー・マリアンヌ』ジャックス著、林文雄訳、長崎書店より。
院母マリアンヌ姉に
このところにはあわれな事が限りなくある
手足は切り落とされ、顔は形がくずれ、
苛まれながらも微笑む、罪のない忍苦の人
それを見て愚か者は神なしと言いたくなろう。
ひと目見て、しりごみする。しかしもう一度見つめるならば
苦痛の胸からもうるわしさ湧き来たりて
目にとまるは嘆きの浜で看護りする姉妹たち
そして愚か者でも口をつぐみ、神を拝む。
1885年5月22日
モロカイ島カラワオ、来賓館にて
作家スチヴンスン作
ハンセン病の病める人に寄り添うシスターを訪ねた時神経症の作家が書いた詞をはじめ斎藤勇氏が訳しました。引用したもののはその詞に神谷美恵子さんが手を加え書き残した詞です。
詳しくは是非神谷美恵子さんの本を皆さんに読んで頂きたいのですが、生きることを誰かに寄り添うこととした偉大な方々がいたことは、ちっぽけな私にとり灯台の光のように思います。
今年もコロナ禍での自殺者の増加や、あらゆる依存症の悪化、外出自粛、ひきこもりなどの問題がテレビやラジオで取り上げられました。
「生きることは働くこと。」「生きることは無理をすること。」という考え方から、コロナ禍という天災により離れることができる人々が出てきました。
しかし一方で、「病で働けない自分は生きる価値がないと親に言われ続ける」「無理をして自分を殺して仕事を続けなければならないと人に言われる」など、悩み苦しみを抱えている方々もとても多くいます。
誰も自分を責めなくても、自分自身で自分を責め続けていると語る人々も多いです。
お話を聞き時間の制限などもあり、言葉に出来ないこともありますが、こう心の中で祈っています。
どうか、自分を苦しめる言葉を抱え込まないで下さい。
自分を苦しめる言葉は本当は自分が生きる為には要らない言葉です。
一度しかない人生です。
死にたくなったり悩み苦しみはあっても、生きていれば何時か元気になれます。
もし病になってしまっても、自分を責めないで下さい。
辛い気持ちを安全な誰かや私たちに話して下さい。
何時でも私は毎週木曜日JUSTの相談電話の前にいます。
最後に、どうか、来年は明るい年になりますように!
睡眠不足や栄養不足や運動不足などに気をつけて、良い年末、良いお正月をお過ごし下さい。
ひきこもり支援回復マニュアル作成委員会・NPO法人JUST電話相談員二宮敬子 2020月12月22日
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