緊急事態宣言から1ヶ月
緊急事態宣言から1ヶ月、在宅勤務に変え、GW中は家におり、外出も散歩買い物ぐらいなものでした。
これ、ほぼひきこもり生活です。
これが、なかなか居心地がいいのです。
同じような心地よさを感じている人は、たくさんいました。
満員の通勤電車に乗らないでいいと言う人が多かったのですが、それ以外にも、いろいろな声がありました。
ずっとパジャマでいてもいいし、オンライン会議があっても上だけまともにしておけばいい。好きな本をゆっくり読む時間もあるし、女性の中には、お化粧をしないでスッピンで過ごせるのがいいなんて言う人もいました。
上司に忖度しなくてもいいし、同僚に話を合わせる必要もないし、部下に気を使いながら指導する必要もないし、基本同居家族以外とは合わない方がいいらしいので、親戚付き合いもしないですむ。
会社の飲み会に出て上司の自慢話を聞かないでもすむし、苦手なママ友との直接会話も避けられます。こうしてみると、日々のストレスの大きな要素は、本来の自分を隠しペルソナ(仮面)をつけて生きなければならないと言うことなのかもしれません。
学校や会社では、つまらないことでもやる気があるふりをし、軋轢を生まないように発言に注意し、空気を読み、波風を立てないように気をつけなければいけません。
何故こんなことをしなければいけないかと言うと、他者からのジャッジメントを恐れるからでしょう。
批判されないようなペルソナを被って暮らさなきゃならないのです。
こうして、ここまで書いてきたことは、ひきこもりの人が常に考え感じていることなのかもしれません。
メンタルプロセスの根本的な部分は、ひきこもりの人たちも、緊急事態宣言の期間以外は外に出ている人たちも同じようなものなのではないかと思います。
みんな、他者視点に合わせて暮らしているのが、苦しいのです。苦しさの度合いが強ければ、あるいは、敏感に他者視点を感じ過ぎてしまうのであれば、ひきこもりと言う選択をするしかなくなると言うことは、誰にも起き得ることなのかもしれません。
ひきこもりのケアには、この「誰にも起き得ること」という視点が必要なのでしょう。
向後善之
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